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広告 reading(読書) 自己啓発本

おすすめ本 本多正信 中村整史朗著 自己啓発本(14) 

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「本多正信 家康に天下をとらせた男」 中村整史朗 著

「Kindle (含むUnlimited)」で読む、歴史上の人物を知る(自己啓発本)

① ビジネスの世界でも応用できることからも、いわゆる右腕とか側近と呼ばれる人はもちろん、トップに立つお人にも、自己啓発本として非常に人気の高い『本多正信』と『徳川家康』本の1つ。本書は、ある歴史上の事件直後からの徳川家康との出会い、そしてその後の側近中の側近として彼の考え、生き方、処し方など、人生はもちろん、その仕(つか)えるところ徳川家を取り巻く諸勢力の動向にも触れていてとても面白い本です。

①-2 もちろん、今から400年以上前の過去のことですから、いろいろと識別・判断基準などのちがいから、別の解釈はありえるところであります。そこがまた面白いところであります。

本書のあらすじ  (歴史物とは言え、文章は多少アレンジしております)

② 1582(天正12)年6月2日(現在でいうところの6月21日)、今の大阪の堺(さかい)を発って京へ向かった「ある人物」は、「織田信長」にお礼を言うことが目的の1つであった。なぜなら、その前には5月頃、信長の招きで京都や堺のいわゆる「上方」を巡っていたからである。その時、わずかの家来たちを連れただけでの動きをしていたという人物はご存知『徳川家康』である。

③ そのまさに6月2日の未明、「(織田家御用商人)茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)」が『一大事』の発生を「本多平八郎」と出会って伝える。平八郎は、枚方(ひらかた)付近まで『先駆けして織田信長殿に上京する旨伝える』ために家康に命じられて馬をかけに駆(か)けていたところであった。

④ 他方、その頃、中国地方に遠征していた「羽柴秀吉(かっての木下藤吉郎)」は「毛利」勢相手に苦戦中であった。(ということは?) 。情報は確かかどうか確認しなければならなかったが、素早い決断と対処もまた必須であり、そうでなければ、その結果は己が身(おのがみ)にとって致命的になりえた。(すると、こちらはどうする? 当然狙ってくるだろうな、わしらの命も。少ない人数だし)。 今、最大の問題は『どうやって、これから伊賀の山々を越えるのか?』であった。

⑤ 茶屋四郎次郎を通じてもたらされた『その情報』に驚いた家康は、錯乱(さくらん)状態から頭の中で考えをまとめ、なんとかこの危機を切り抜ける策(さく)はないものかと思いつつ、そばにいる者たちをぐる〜と見まわした。そこにいた! そこにいたのが『本多弥太郎』こと「正信」、その人であった。

⑥ 彼「本多正信」は『(一向宗の問題で家康側に弓をひいたのだが大久保忠世のとりなしで最近帰参がかなった』といういわゆる『帰り新参の男』だった。がしかし、『当代屈指の傑物』という者でさえ『(彼は)必ず世の常の人でない・・・』と評したというわれている人物だった。その彼が偶然この少ない人数の中にいたのである。そこで、人物眼の傑出している家康も・・・。

③ 「本多正信 家康に天下をとらせた男」 (中村整史朗著 PHP電子)。なお『PHP電子』は、PHP研究所のデジタル・電子書籍のことです(公式サイトによる)。

ではまた!

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