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誤解だらけの「関ヶ原合戦」 渡邊大門著  PHP文庫(kindle)版 歴史もの(4)

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徳川家康「天下獲り」の真実

壮大な「天下分け目」の戦いとは?

[A] 本書について(概略)     ([C] 出版情報は一番下あたり)

(画像は「いらすとや」さん)

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誤解だらけの「関ヶ原合戦」 徳川家康「天下獲り」の真実 (PHP文庫) 文庫 – 2023/4/5

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①-1  本書は『歴史学者であり、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役』、さらには『NHK大河ドラマの評論家』もされている「渡邊大門(わたなべ だいもん)」氏による歴史ものシリーズ、『誤解だらけの徳川家康』に続く第2冊目、信頼性の高い一次資料を詳細に最近の研究の文献などで紐解(ひもと)く『関ヶ原の合戦』、『新しい家康の率いる東軍』や『歴史上有名な事案・事件』を『最近になって現れてきた今までの通説を裏返す研究など』を参照しつつその検証をしてみようという本になっています。難(むずか)しい内容ですが「今までの通説→はたしてそうか?」と言う感じで読みやすいところが豊富です。

①-2 今までよく知られている「この合戦の地理的構造と陣取った各々の軍の将たちの心理的変化」に至る道は「確かにそうだったのか?」、「どんな形で進んで行ったのか?」と言うとても面白い展開となっています。難関は「人名と地名」です(特に戦国時代の有名な武将の親子とか兄弟がいっぱい出てきて頭の中が関ヶ原?となります)。この本については『kindle(含Unlimited)版』があります。著者のプロフィールなどについてはこの本のAmazonの広告をはじめ、ネットで検索できますのでそちらをご覧ください。

[B] どういう内容?

①-10 簡単に言うと、本書の紹介にあるように、確かに歴史が動いたと思える『徳川幕藩体制』のその始まり、そもそも「関ヶ原合戦」はどうして起きてどうなってたか? のおさらいです。

①-11 もう少し詳細を書くと、『(今まで通説とされてきた)家康の人物像は本当だったか? 』。それを「信頼性の高い資料に限定」して、また最近の専門家たちによる『切り口を変えた新研究』によって明らかにしていく作業において、読む人たちに『学校で習うような歴史的な出来事を中心に、年代をたどりながらも、「読みやすい・理解しやすい・補助としての地図や構図を通説との比較」も話題によっては取り入れてまとめた本。

b-1 簡単な説明

①-12 『関ヶ原の合戦』とは「1600年(慶長五年) 9月15日[新暦で1600年10月21日にあたる]に、当時の有力武将たちが「東と西」に分かれて戦った「勝った方が天下を取るであろう(天下分け目の戦い)」とされています。

b-2 地理的情報

①-13 a 『関ヶ原(せきがはら)』とはどこでしょうか? 本書「第6章 決戦関ヶ原」の冒頭によれば『(現在の)岐阜県不破郡関ヶ原町』で、「かっては中山道・北国街道・伊勢街道の分岐点でもあった」地域で、岐阜県の南西端に位置して伊吹・鈴鹿両山地に挟まれた『小盆地』と書いてある。(東国と畿内の境目を結ぶ要である『不破(ふわ)の関』と言う関所だったようです)。

①-13b 『関ヶ原(せきがはら)』に関するマップを2件(Google mapとそこに書いてある簡単な説明も)つけて起きます。

Google マップ  関ヶ原(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町、関ケ原町は岐阜県西濃地方西端の不破郡に属する町だそうです。『岐阜関ケ原古戦場記念館』もあります)

Google マップ  『史跡 関ヶ原古戦場 決戦地(住所 : 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原1202)』 〜 戦いの舞台「丘陵地」にある広大な史跡。記念館、ガイドツアーやレンタサイクルを利用可能。

①-13c 合戦当日は早朝から濃い霧であった(am10:00頃には霧は晴れていたと言う説もある)という歴史小説によく書いてある通りの、また、新幹線も冬季には雪で安全・スローに走る地域のようです。ただ、最近の説としては、合戦の場所は『関ヶ原』ではなく『山中(村)』であったと言うのも出てきているらしいです(ただ、一次資料では『関ヶ原』と書かれたものが多いと筆者は書いています)。

b-3 主な「本戦参加の両軍主要武将」たち

②-1 日本史の教科書などで有名ですが、東西両軍の武将を少しだけ書いておきましょう。

②-1 [東軍]

(i) 徳川家康

(ii) 井伊直政

(iii) 本多忠勝

(iv) 黒田長政

(v) 福島正則

②-2 [西軍]

(xi) 石田三成

(xii) 島津義弘

(xiii) 大谷吉継(よしつぐ)

(xiv) 安国寺恵瓊(えけい)

(xv) 毛利秀元

(xvi) 宇喜多秀家

(xvii) 小早川秀秋

[C] どんな感じで「決戦」まで進んで行ったか?

⑤-1 決戦の場所と日時が決まるまでには、どうやって彼らがリーダーとなって、誰が仲間になって、時に離れていく者たちがあって、『織田信長・豊臣秀吉と続いてきた戦国時代は秀吉の死によって大きく空白が生じた』という状況の変化があった。安定が不安定になってきた。

⑤-2 そのような状況下、諸国や諸将やその各々の国では、経済状況・軍事状況・リーダーと隊の質と量などの目安があり、どこの誰と組めば、自分の領土と民を守っていけるかという戦略・戦術に立って、かといって義理もあり、誰が親で子供を誰に嫁がせているとか人質に出していたという制限もかかり、人間同士の個人的な好き嫌いもあって「その時」決戦という形で決着をつけるしかない、ということもある、みたいな大きな流れが急に起きてきたのか? それとも歴史的必然なのか? その時、リーダーたちは何を考えていたのか? 信頼できる一次資料は何を語っているのか? という感じで本書は進んでいきます。

(画像は「いらすとや」さん)

⑤-3 しかも近年、NHK大河ドラマの影響もあるでしょうが、最新の「関ヶ原」研究が出てきたようで、さらにすでに出版されている『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか(PHP研究所、2019年9月)』の「改題プラス加筆・修正」というプロセスを経て「アップデートされた」内容となっております。

⑤-4 この本を読むと尚更(個人的には)、やっばり各々の軍の動きを3次元CGで観てみたい。人馬がいっぱいいて、地理的に複雑な場所での合戦は頭の中の想像だけではやっぱり把握しにくい。一度は学校で学んだような語彙(ごい)・人名は出てくるにしても。上述したようにも秀吉没後ものごとは大きく動き出して、その時本当の気持ちはどうだっのか、なかなか家康本人の会見があるわけではないので(そしてあまり話さなかったとも言われているらしい)、『五大老』のひとり家康は当然の動きのようで「秀吉の重臣たち」は落ち着かなくなってきて「(いったんは引いていたような感じもあった)石田三成」、「毛利輝元」らで形成された家康包囲網。他方、それを突破しようといる家康に従い(あるいはむしろ担ぎ上げて行ったか?)「井伊直政」、「本多忠勝」らはもちろん、中間の立場を取っていたいろいろな武将たちがいた。つまり、東西陣営とその中間に位置するグレイゾーンがあった。

⑤-5 もちろん『(緊張のクライマックス)関ヶ原』に到達するまでには、有名なところでは「小山評定」、「石田三成訴訟(襲撃?)事件」、「直江状」などなどが次から次へと起きる。ある意味立場がグレイな諸国においては、城や町の修復(普請)もせねばならず資金や食糧、武器、優秀な武士、戦略家(軍師など)も必要としたであろう。誰かと誰かの娘や息子が結ばれたとか誰かがいなくなったとか「いろいろな要素は誰を必要としていたか?」 そんな遠くから見るような分析がされているようで面白いです(専門家でもない私にはちょっと難しく、読むのに時間がかかったけれど・・・歴史物がより好きになったような気もします)。

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誤解だらけの「関ヶ原合戦」 徳川家康「天下獲り」の真実 (PHP文庫) 文庫 – 2023/4/5

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[C] 出版情報

『誤解だらけの「関ヶ原合戦」 徳川家康「天下獲り」の真実   渡邊大門著 (PHP文庫)  – 2023/4/5 』

(注意書きとしては、本書は2019年9月にPHP研究所から刊行された『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか』を改題のうえ、加筆・修正したものです、と書いてありました)

以上です。

では!

続きは次回です!(別の本になります)

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